【和製フリット】規格外のフットボーラー石塚啓次 いまだから明かせる高校、Jリーグ秘話

1:2020/01/12(日) 20:11:56.92ID:nhCOG+XD9 金髪、ピアスで残した強烈なインパクト

「ホンマに忘れっぽいし、いい話もできないけど。それでもよければ、どんどん突っ込んで聞いてください。あんまり時間もないけど……」

待ち合わせの店で初めて顔を合わせると、石塚啓次はそう言ってほほ笑んだ。

少し意外だった、と言えば、失礼かもしれない。だが、引退後はほとんどサッカーに関する取材を受けてこなかった彼から、まさかこんな貴重な取材機会をもらえるとは想像だにしていなかった。
それだけに、こちらの心中はうれしさ半分、戸惑い半分というところだったが、取材が始まるとその時間はあっという間に過ぎていった。

元Jリーガー石塚啓次の名は、選手時代よりも引退後にアパレル業界での活躍やスペイン・バルセロナへ渡って飲食業を営んでいることなどで度々報じられてきた。
だが、そもそも彼の名が全国のサッカーファンに知られるきっかけになったのは1993年1月、第71回高校サッカー選手権・決勝でのことだった。

決勝のカードは、国見対山城。まさかの快進撃を見せた京都・山城の背番号7をつけた石塚が、その大会でプレーしたのは決勝のわずか20分ほど。
だが、短い時間のなか、ダイナミックなプレーと金髪にピアスという風貌で強烈なインパクトを残したことは、いまでも語り草となっている。

「どやったっけなー」とはにかむ石塚の頭の中に、当時の記憶はどう残っているのか。

三浦淳寛(当時の登録名は三浦淳宏。
元日本代表、横浜フリューゲルスなど)や永井篤志(元モンテディオ山形など)などを擁した国見との決勝は、前半に1点、後半にもさらに1点を奪われる形で試合は進み、
大会前のガンバ大阪Bチームとの練習試合で 右足小指の亀裂骨折の故障を負っていた石塚がピッチに入ったのは後半18分のことだった。

実況アナウンサーが「ついに石塚登場」と言えば、チームメートも石塚を拍手で迎え、国立競技場のスタンドもにわかにザワつくなど、その交代劇はまるで“救世主の来臨”をも思わせた。
司令塔の石塚の投入と同時に、山城はリズムを取り戻した。ただ、2点のビハインドは重く、山城は懸命な反撃も空しく0-2のまま敗れた。

石塚がボールを持つたびにスタンドは揺れ、その華麗なボールタッチひとつひとつに大歓声が上がった。
一方で、石塚の独創的なプレーをよそに、茶髪にピアスという出で立ちが高校生らしくないとクローズアップされ、思わぬ批判の声が沸き上がった。

「ふてぶてしい、ってね。1回戦か2回戦のときも、ベンチ脇でふんぞり返っていたら、それが噂になったりして。
でも、俺にとってはサッカーしたいのにできひんってなって、それでも見てなあかんって拷問みたいなもんやん。
だから、超ふて腐れてて。学校にもあとからクレームが来たらしいけど、何も別に……。

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Author: kokohenjp

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